①骨董の趣味のある人ない人
骨董品はお金持ちだから蒐集しているわけではない
その上、お金持ちでも興味がない人は全く所有していない
特にお金持ちで無くても骨董品が大好きで
身銭を切って、食べるものを惜しんでも蒐集している人達もいる
そんな人の心や人生をあっという間に魅了してしまうのが骨董である
骨董は道楽とよく言う
それもそうだ
ぱっと見ゴミにしか見えないものだってある
でもそれは歴史のあるもので、すごく生まれのいいもので
その時代の風俗や生活様式を映し出してくれる
判る人には判るけど判らない人にはてんで判らない
そんな骨董の魅力はどこにあるのか
それはこの世に二つとない存在にある
現代は量産品の時代
いくらでも同じものが工業的に機械で生産される
レールに敷かれた中
I PHONEやテレビ、半導体
確かに人類は進化し技術は発展した
骨董品の魅力はこの世に一つしかない魅力だ
それは、<そのもの>を今一度再現して作ってみろと言っても
全く作れないの所にある
作り手の手のぬくもり
釉薬のかけ具合
その時の気温
登り窯の温度
季節
タイミング
思想と思考
土
あらゆる手作りの要素が複雑なタイミングによって織り成され
一つの作品が生まれる
骨董品の魅力を今一度言うならば
人間そのものかもしれない
この世に全く同じ人間なんていないのだから
よく似ている人間はいるが
その人間がこの世に生を授かり
死にゆくまで
全く同じなんてありえない
人間は死んでしまうと形は残らないが
骨董品は持ち手やコレクターが大切に保管し後世に残せば
ある意味、半永久的に存在する事ができるかもしれない
そういう意味では人間の短い人生も悲しくも面白いが
骨董は人間の一生よりも場合によって永く生きる
それもまた骨董品の魅力である
②骨董品収集のすすめ
さて本題に入ろう
美術品や骨董品の入門も人それぞれ
足立美術館で目にした河井寛次郎の作品に一目惚れして
この人の作品を集めてみたいと思った人もいるだろう
作品からその人の生い立ちやなぜ陶芸の道に進んだのかなど
一つの作品からその作家の一生がどのようなものだったのかまで
堀探りたくないるのがコレクターの心理でもある
コレクターすなわち資産家、金持ちではなく
やはり、そんな金満的で資本主義的な発想から芸術への感銘が生まれるわけもなく
飽くなき探究心や好奇心を1番列車として
まさに教養へと発展していくのだ
ただ単にその作品の作家の作品を300万円で購入したからといって
その作家の深い思想に到達できるものではない
ましてや人類が今まで到達できなかった
超絶技巧が一つの数字として表されるのは少し寂しい気持ちもある
だが、そこはその作品の価値が高いのか安いのかという次元ではなく
ある意味、所有と売却を繰り返さないといけない
人間の寿命と深く関連している
③素晴らしい人生(教養は骨董品と美術品から学べる)
どんなに骨董品が好きでも
人間には寿命が来る
そして自分の子供達が骨董品の趣味がない可能性だってあるのだ
骨董商、美術商という職業柄
コレクターとよく話をするからそれはよくわかるのだ
息子や娘に趣味がない
個人的には息子や娘は趣味がなくても張り切ってコレクターの前では
言わないほうがいいかなと思う
よくこの業界によくある話で骨董に全く興味がなく
家を解体屋さんに丸々任せた所
とんでもない銘品と出くわした事がある
その上、もう丸々管財人に旧家を受け渡して
それを仲介する弁護士さんから連絡を受けて鑑定した事もある
それって一番もったいないパターンなんです
ちょっと古いもの、あれっと思うものがあれば
必ず連絡をもらえたら嬉しいですね
この業界、悪徳業者やマナーの悪い業者も沢山います
やはり印象が一番大切で、その会社が信用に足る会社なのかどうなのか
それは言葉よりも行動です
どんなに素晴らしい言葉を言っても
実績や行動を上回る事ってないです
高麗堂はそんな美術品収集家と生と死
人生と45年もの間お付き合いをしてきました
色々なエピソードがありました
でも、その人の短い人生と骨董の魅力に挟まれながら
今後も真面目に美術品、骨董品に囲まれながら
仕事していきます
今後の連載もお楽しみに
(了)
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