①骨董品収集家のご自宅に訪問はかなり楽しい
驚くほど骨董品を収集されている方の家にお邪魔した
家も骨董もその方の趣味趣向が色濃く反映される
洋風の建物にヨーロッパの美術品
和風の豪邸に日本の茶道具
そういった王道のご自宅もあれば
洋風の建物なのに純日本骨董が沢山あったり
和風の建物なのに海外の絵画やロシアの美術品があったり
そのミスマッチの場合の多くは夫婦の趣味や方向性の違いだ
奥様の洋風の建物を好んで建てるも
旦那様が日本の骨董品を収集されている
こういったケースはよくある
いくら好きだと、愛してると夫婦になったと言え
互いに価値観が完全一致するわけでもないですし
お互いの美意識なども完全一致するわけでもない
ですがこのミスマッチのケースも非常に面白みがあって
その夫婦関係や人生を垣間見るようで興味深く拝見させてもらっている
一度びっくりしたのは筋のいい古いお茶碗を沢山持たれている方の家に訪問した時に
奥さんがひたすらブチ切れているんですよね
<こんなきったならしいお茶碗全く実用性もひったくりもないのに>
<邪魔で仕方ないわ>
<こんなものにお金を使うんだったらもっと有意義なことに使って欲しいわ>
と唾を飛ばしながら怒ってる。笑
それを聞いて、旦那様はもう迷いのない眼光
凛とし眼差しで言い放つ
<お前に骨董の何がわかる>
<わしの金をわしがどうつかおうが、人の勝手じゃ!>
また夫婦喧嘩が始まる
骨董で家庭が崩壊する話も聞いたことがある
骨董は道楽、まさに道楽で済めば越したことはないが
人生までも左右してしまう骨董って一体?
②趣味が高じてあらぬ方向に向かう資産家たち
仁王像、仏像、巨大な木彫りの衝立、西洋甲冑、屋久杉のテーブルに巨大なペルシャ絨毯
それでは飽き足らず、白熊のカーペットに玉杢の5メートルはする座卓
物自体の驚きもあるなによりも
どうやってこの傑物達を家の中に搬入したのか?
いくら間口が広いと言えども、これほどまでに巨大な調度品や美術工芸品を
何人の力でどうやっていれたのか
そこも想像するとワクワクしてくる
結局、魅力に惹かれてどうやって入れるかなんてまるで考えていない
そうなんです
考える前にインスピレーションが光の速度で動いて買っちゃってるんです
まるで映画のセットのような資産家のご自宅
よく私たちも会社でよく話します
<資産家の考える事は想像を超えている>
結構どんなものを見ても驚かないプロの美術品鑑定士も
こんな場面に出くわすと
さすがに驚きを隠せない
高杉晋作は言いました
<おもしろきこともなき世をおもしろく>
奇兵隊さながらな機動力と奇襲攻撃に
心を撃ち抜かれたというエピソードだった
③人が持っていない骨董品や美術品が欲しい
こんな量産品で溢れた世の中で
我が道を行くソルジャー達がいる
美術品コレクターだ
そんな美術品コレクターの一番のポリシーは
人が持っているものなんてクソだ
誰も持っていな、そして心に響く感動するような美術品が欲しい
それはお金で買えてお金では換算しきれない価値を持っている
企業でいう<のれん代>がさらに進化したもので
100年続いている企業などは株価以上の価値があると言われている
骨董品の一つの基準も100年だ
100年前の美術品や工芸品を骨董と定義するとして
万物は朽ちていくというこの世界の摂理から説くと
100年間もの間、この世に産声をあげた美術品が
壊れる事もなく受け継がれて行くこと自体が奇跡だと言える
そんな奇跡とも言える骨董品の世界観を
コレクターは大切にしているのだ
私たちはそのコレクターの世界観を最大限リスペクトしつつ接している
ただ、買えればいい
ただ、売れればいい
そんな感覚でコレクターを接していると
罵倒される結末が待っている
この美術品が過ごした100年間を想像しているコレクターの
心の中はまるで小宇宙のようだ
なので簡単にそれに触れようとしたり
簡単に土足で踏み入れようものなら
大火傷する
それはわかりきっているが
昨日の事もまともの想像出来ない人が
100年前のことを考えている人と話が合うわけない
美術商とコレクターの関係性は美術品、骨董品を通じて
その過去の時間軸を合わせていく事に集約されるであろう
(了)
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