①お寺の廃業は歴史が一杯
お寺の住職様が亡くなった
継承される方もいらっしゃらないのでお寺のありがたい品々を
丸ごとお預かりした
仏具、木魚、古い書画、古い掛け軸、仏像、厨子に入ったありがたい不動明王
経机、宝具など様々だ
オークションはこう言ったお寺の住職様の持ち物も次の世代に送り届ける
大事な社会循環システムでもある
骨董品もさることながら玉眼の入った仏像が非常に魅力的だった
今まで何人の人生を背負って
今まで何人のお参りを受けてきたのだろう
想像すると本当に奥が深いものだ
人生でも最も立ち会う事のない事
それがお寺の廃業であろう
ですが高麗堂になぜ依頼があるかといと
それは長年地域に根ざして骨董品と美術品一筋でやってきたからだと
どんな小さいの事だって
どんな難しい事だって
解決できる事もあればできない事もあるけど
お客様に真摯に向き合って
接してきたからこそだと思う
有難い気持ちと有難うという気持ちを
常に持って骨董品と美術品を通じてお客様と楽しく話をしていく
それこそが喜びだ
②骨董が好きな人は変人が多い
独特な価値観を持った人と遭遇する
それは人生にとっても素敵な事だ
でもあまりにも度がすぎるとこちらも驚きを隠せなくなる
持っている骨董品もさる事ながら
客をどのように接待、接遇するかは本当に人それぞれだ
ある人は徹底的に美味しいものを食べさせてくれた
しかも中華料理で到底4人では食べきれないほどの量を注文し
接待を受けている方も必死なので一生懸命食べるも
食べきれないのだ
食べれないと失礼になると思い
胃袋が続く限りまるでギャル曽根のように食って食って食いまくる
その後、骨董や美術品の話しになるが
お腹が一杯すぎて、頭が朦朧としてくる
まさか?
これって作戦なのか?
本当の好意なのか?
もし好意だとしたらあまりにも豪快すぎる<おもてなし>の持ち主だ
作戦だとしたら、これこそお客様には失礼だが策士だ
本当にお金持ちの考えることは
私たちの想像を絶している
没個性と叫ばれている最中
骨董の収集家は完全に個性の塊だ
そのこだわりや、世界観は本当に国の宝といっても過言ではない
結局、お腹いっぱいで夕ご飯はいらないと家内に伝え帰路に着いた
③売りたい人?買いたい人?それとも両方?
骨董の収集家にもその時に応じてコンディションがある
欲しいものがあるのか、ないのか
買いたいのか、売りたいのか
だいたい、美術品収集家は常に珍しいもの、希少価値の高いものを追い求めている傾向にある
だが、買う当初は感動して買ったものも
しばらく飾ると、飽きてくるのも人間心理でもあり収集家の常でもある
あと、純粋にその骨董品を持って何をしたいのかも非常に興味が有る
ただ、良いものを自慢したいのか
それを飾りながらお酒を飲んで満足感に浸りたいのか
もしくは友人を呼んでこの骨董品の良さを聞いてもらいたいのか
骨董品一つを持っても様々である
京都の素晴らしい資産家に出会って今でもお世話になっているが
本当の資産家はものは売らない
売らないと言ったら語弊があるが
とにかく広い家にセンスの良いものが立ち並び
手放すなんて持っての他
とにかく買っては集めて、買っていは集めて
美術館ができるのではないかってくらいの圧巻の光景
その方は収集する美術品と
海外向けのバイヤーに売る美術品とを分けているのも非常に凄いと思った
それは集めるには集めるが
また商売する為の道具は別枠で仕入れては高い値段で売っているのだ
ここまでくると収集家の鏡
売った利ざやでより良いものをコレクトして収集
何はともあれ
人脈が凄い
アメリカ、イギリス、華僑、朝鮮半島、ユダヤ
人種や目の色で商売する人間を決めない
美術品と趣味でつながった関係で
どんどん資産家とつながっては
情報を交換して、さらに骨董品も交換する
これからは風の時代だ
偏見や見た目で判断するのではなく
自分の言葉で自分の感性で語れる美術商でありたい
(了)
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